out of control  

  


   20

 結局、こうなっちまったな。
 遠路はるばるデインの王都、ネヴァサに来て、王と巫女の話を聞いたあと、俺たちは協力し合って今回の問題を片付けることになった。
 口先ではどうあれ、ネサラがデインを気にかけていたのは知ってる。もちろん政治的な面だけじゃなくて、人情的な意味合いでもな。
 ましてエディとレオナルドだったか。あんなガキ二人に泣きつかれてそれを無碍にできるもんかよ。
 誓約に縛られていたあのキルヴァス王時代ですら、ネサラが人情に弱い部分は透けて見えていた。狡猾に見せかけても詰めが甘い。
 あれは懐に入れた者にはとことんまで情を掛ける鴉の性なのかも知れねえな。
 俺がフェニキス王のころはどんなに悪ぶろうがそんな部分が可笑しくて、ついちょっかいをかけては痛い目に遭わされたりもしたさ。
 ベグニオンの船を襲う時に獲物を掠め取られたりな。
 金輪際、口は利かない。
 そう吐き捨てられた翌日、鷹の雛が病気になって困ってると使者を送ったら、ぶつくさ文句を言いながらでも腕の良い薬師と薬草を即寄越す。もちろん、後からたんまり代金を支払う羽目にはなるんだが、あいつのそんな部分が対等な立場になってからでもどこかしら可愛いヤツだと俺には思えた。
 ……懐かしくなるぜ。

「えーっと、水だろ、外套につける火の術符と……あ。酒もいるよな!?」
「ボーレ、瓶のはだめよ。割れたら危ないでしょ。鳥翼王さま、傷薬はこれぐらいでいいですか?」
「おう、ありがとうよ。ネサラの持ってる分もあるしな。充分だ」
「セネリオもいるし、光魔法の術符もある。心配いらないさ」

 朝一番にネサラの書状を持たせたハールを送り出して、今は偵察に出る準備中だ。
 最低限のものがあれば俺たちはどうとでもなるんだが、今回はセネリオが同行するからな。必要なものがあるなら用意しろと言うと、アイクの妹、ミストが張り切ってあれこれ仕度を始めてくれた。

「あとは…そうそう、お弁当! 鳥翼王さまはたくさん食べるから、パンとハムの塊を残してあるんです。わたし、取ってきますね!」
「いや、偵察なんだからいくらティバーンでも……」

 ぽん、と胸の前で手を叩いたミストが慌しく部屋を飛び出そうとする背中をネサラが止めるが、その前に扉が開いてシノンとガトリーが顔を出した。

「……賑やかだな」
「じゃじゃーん! シノンさんとオスカーが作ったお弁当を持ってきたっすよ! 寒いんで、あったかい酒も用意しました!」
「シノンとオスカーが作ったのか! そいつぁ期待できそうだ。ありがとうよ」
「あったかい酒もなにも、この寒さだ。すぐに冷めるんじゃないか?」

 まるで自分が作ったかのように自慢げなガトリーの手からずしりとした布袋を受け取りながら礼を言うと、ネサラは首をかしげてシノンにそんなことを訊いてやがる。

「こら、そこはまずお礼だろうが!」
「いてッ。あ、あぁ、そりゃわかってるが……。その、どうも」
「ちゃんと言え!」
「うぜえ。べつに礼なんかいらん」

 ったく、ガキじゃあるまいし。軽く頭をはたいて叱ると、ネサラはもごもごと礼とも言えねえような礼を言ってシノンが押し付けた大きな…なんだ? 水筒か? 水筒を受け取った。

「これは?」
「石綿でくるんだ水筒だ。底に練炭を入れてある。長時間は難しいが、結構な時間熱いまま持ち歩けるぜ。本当はスープにするつもりだったんだが、デインの寒さは普通じゃねえからな。スパイス入りの酒にしたのさ」
「へえ、良い考えだな。手作りみたいだが」
「シノンさんは器用なんですよ。おれもこの辺りとか手伝って作ったんですけど、なかなか便利っすよ!」
「……重いのとかさばるのが難点だが、需要があるんじゃないか、これは。このままでも商品化できそうだな」

 中に入ってるのは恐らく葡萄酒だろう。二回りほど大きくなるのは難点だが、熱いものを持ち運べるってのは便利そうだ。
 水筒をためつすがめつ眺めて何やら考え始めたネサラには構わず、呆れ顔で腕組みをしたシノンに俺は話しかけた。

「こいつは珍しいものに目がなくてな。有難く借りるぜ」
「けッ、ガキとおんなじだな」
「もう、シノン! ボーレも笑わないの! 鴉王さま、それは本当に便利なんですよ。冷え込む夜の見張りとかも、すっごく楽になったんだもの」

 ミストが怒っても、二人ともどこ吹く風だ。シノンの方こそ拗ねたガキのようにそっぽを向いて、ボーレは遠慮なく背中を叩かれながらも笑いながら強い蒸留酒の入ったスキットルを三本、俺の荷袋に突っ込んでくれた。

「セネリオはもう中庭で待ってるぜ。俺たちも準備を進めとく。気をつけて行ってくれよ」
「もちろんだ。よし、ネサラ。行くぞ」

 重そうな水筒を抱えたネサラを呼ぶと、ようやく顔を上げてこっちに来る。この分だと頭の中はあの水筒を使ってどう商売するかでいっぱいだな。

「ずいぶん気に入ったようだな。商売に使うつもりだろ?」
「ぜひそうしたいね。でもまだ製造工程もわからないし、小型軽量化も課題だ。あとは販路だな……」

 茶化すように俺が言っても、ネサラは怒りもしないで真剣に考え始めた。
 俺も興味がないわけじゃねえが、ネサラほど熱心に研究しようとは思わねえな。

「鳥翼王さま、鴉王さま……」

 さて、それじゃ出発するか。
 二重になった窓を開けてテラスに出ると、アイクとセネリオ、リュシオンだけじゃねえ。デイン王と巫女も俺たちを待っていた。

「スクリミルとライは?」
「王宮の修理を手伝ってくれています。獣牙族の方はこういった工事が得意だからと……」
「キルロイやヨファは、病人やけが人の手当てをしてくれています。なにぶん、人手が足りないものですから」

 らしいっちゃらしいな。
 笑って「そうか」と頷くと、巫女も小さく笑っておずおずと黒い袋を差し出した。セネリオから術符を預かった時に使った魔力を遮断する布で作ったものだ。

「鴉王、どうかこれを。光の術符です」
「前に預かった炎の術符がまだ残ってる。貴重なものなんだろ?」

 ネサラが首を横に振るが、術符入りの袋を差し出したデイン王は後ろの巫女を気遣わしげに見て言った。

「あの渓谷には、かなりの量の油を撒いたと聞いています。炎の術符や呪文では危険なので……」
「油を?」
「はい。わたしが……命じました。岩を落として、上から油を撒いて……火責めをするために」

 そう言や、そうだったな。
 巫女は小さくなって俯いたが、ネサラは受け取った術符を懐に入れながら答えた。まあ、こいつなら本気でそう考えるだろうよ。

「なかなか徹底してるな。火は放たなかったのか?」
「は、はい」
「俺がサザを人質に取ったんでな。火は使ってねえ。だからまだかなり油が残ってると思うぜ」
「身内を人質にとられたぐらいで挫けるならやめとけとは思うが、敵を殲滅したいなら悪くない作戦だ。足止めしたいだけなら、到着前に崖を崩しておくべきだったとは思うがね。わかった」

 確かに、そりゃそうだ。
 足止めだと思うから腹は立つが、敵を皆殺しにする必要があるなら当然の作戦ではある。
 もちろん、俺ならやらねえけどよ。勝った後に難癖つけられそうな作戦ってのはなるべく避けてえからな。

「あの辺りはまだなんの調査もできていません。だから、危険を感じたらどうかすぐに引き返してください」
「ご無事を祈って待っています」

 不安そうな二人に笑いかけて、俺はアイクの傍らで待つセネリオに向き直った。相変わらず冷ややかな表情だが、こうしてじっくり向き合うと昔よりも人間味が出た気がするのは、身内びいきってやつかも知れねえな。

「……なにか?」
「いや。待たせちまったと思ってな。じゃあアイク。行ってくるぜ」
「ああ。今回は偵察だけだしあんたたちに限ってとは思うが、なにがあるかわからん。気をつけて行ってきてくれ」
「わかってる。セネリオ、来い」
「…………」

 頷いた俺が手を差し出すと、嫌な顔はしたものの、セネリオは無言で俺の手を掴んでおとなしく腕に収まった。こいつの体格なら片腕で充分だ。

「しっかり掴まってろよ」
「……化身してくだされば背中に乗りますが」
「じゃああとで弁当とネサラの水筒を持ってくれ」
「はい」

 先に挨拶を済ませたネサラが待つ城壁まで飛ぶと、昨日よりは距離が縮まったものの、未だに遠巻きな黒いデイン兵たちがあちらこちらから恐々とした視線を向けてくるのがわかる。
 なんつーか……しょうがねえんだが、落ち着かねえな。
 城壁の上にいたのはジルとリュシオンだ。気性の穏やかな騎竜なんだろうよ。ぱっちりとした優しい目をしていて、まるで猫みてえに二人に頭を擦り付ける仕草が可愛らしい。

「ティバーン、ネサラ……」
「そんな顔をするんじゃねえ。すぐ帰って来るさ」
「鴉王、私もこれから出発します」
「そうか。面倒なことを頼んですまないな」
「いえ、それは大丈夫です」

 心配そうに俺たちを見上げるのはリュシオンだ。ジルにはネサラがなにか頼んだらしいな。

「王命でもないし、ハールに頼んだら本当に居眠りされそうで心配なんだ。危険もあるかも知れないから、充分注意して欲しい」
「はい。了解しました」
「リュシオンも術符は持ったか? ジルを頼むぞ」
「もちろんだ。本当はおまえといっしょに偵察の方に行きたかったんだが……任せておけ。おまえが言うんだから、これが大切な仕事だということはわかる」
「理解が早くて助かるね。じゃあ、俺たちも行こうか」

 なるほど。リュシオンを遠ざけたかったわけだ。

「ちょっと待て。ネサラ、これを……」
「ん?」

 さっさと背を向けたネサラを呼び止めたリュシオンが懐から出したのは、絹の手巾に包んだ赤い耳飾りだった。
 ああ、そういやネサラが化身の力を失くした時にリュシオンが預かったんだったな。

「なんだ。まだ持っていてくれたのか」
「当たり前だ。これは私たちがおまえに贈ったお守りなのだからな」
「そうなのか?」

 なんだそりゃ。その話は知らねえぞ。
 俺の問いかけにネサラはそっぽを向いたがリュシオンは頷いて教えてくれた。

「はい。ネサラがまだセリノスでいっしょに住んでいたころに私と、兄たち姉たちから贈ったものです。ネサラは次の鴉王になることが決まっていました。だから、常にネサラの身につけてもらえるよう、母上の首飾りにしていた紅玉から削り出してこの耳飾りを作ったのです」
「そういうことがあったのか」

 なるほどな。ネサラがもともと宝石類を好きなのは知っていたが、この耳飾りを付け替えたところは見たことがなかった。
 この表情から察するに、それが理由だったんだな。

「さあネサラ、耳をこちらに向けろ」
「自分でつけられる。ジルも、セネリオも待ってるだろ」
「そんな、お気になさらないでください。私なら平気です」
「僕もお気遣いなく。出発が数分遅れたところで今さら事態は変わりません」

 どうやらこの場にネサラの味方はいねえようだ。かく言う俺もにやにや笑ってネサラを眺めると、ネサラは舌打ちを堪えるような表情で器用とは言えないリュシオンが自分の耳に紅玉の飾りをつけるのを待った。

「……これで良い。やっぱり似合うぞ。青玉の方が良くないかと言った姉上もいたが、絶対に紅玉の方が良いと私とリアーネががんばったんだ。さあ、行って来い。気をつけて、必ず無事に帰るんだ。いいな?」
「リュシオン……なにも戦争しに行くんじゃない。偵察だぞ?」
「それでもだ! ティバーン、お願いします。セネリオもな」

 赤くなったネサラに笑いながら俺が「おう」と頷くと、腕に腰掛けさせる形で抱えたセネリオは「努力しましょう」と真面目くさって答えた。
 やれやれ、やっと出発できそうだな。
 心配そうにいつまでも見送るリュシオンに手を振りながら、俺たちは王城を発った。

「鴉王、あの二人に一体なにを頼んだんです?」
「お使いさ。ここには俺たちの特急運送の支部がないんでね。少々距離があるが、パルメニー神殿まで行ってそこにいる鷹にクリミアまでの手紙を託してもらいたいんだ。それに、あそこはリーリアのこともある。責任者のトメナミが弔いのために墓を用意してくれたから、リュシオンを行かせてやりたくてね」

 なるほどな。こいつらしい気遣いだ。
 納得した様子のセネリオが俺の肩に掴まりながら頷く。ネヴァサを出たらこいつの希望通り化身して背中に乗せなおすか。
 ネヴァサの城下町を眼下に見下ろしながらそう考えていたところで、ネサラが呟いた。

「……良くないな」
「ええ」
「あ?」

 その呟きだけで意味が通じてるらしく、セネリオが頷く。
 なんだ? どうもこいつらは二人だけで通じる会話をしやがるな。

「ネヴァサの城下町の様子を見ていたのです。王都だけあって衛兵も、物資もそれほど足りないはずはないのですが、カゴ持ちの子どもが減っています」
「カゴ持ち?」
「でかいカゴを背負って、市場で買い物した客の荷物を家まで届ける仕事をする子どものことだ。クリミアやベグニオンにもいるぜ。大体は子どもの小遣い稼ぎだ。もちろん重いものを専門にする力自慢の大人もいるが、子どもが減ってるのは良くない」

 なるほど。俺たちと違ってベオクにゃいろんな仕事を生業にするやつがいるからな。そのカゴ持ちが減ったのはわかったが、理由がわからん。
 そう思って黙っていると、セネリオが冷たい風に煽られる髪を押さえながら言った。相変わらずの無感動な調子で。

「代わりに、働き手を亡くした年寄りや元負傷兵の大人が増えています。子どもたちが追い出される形になって商売を鞍替えしたんでしょうね」
「……何にだ?」

 嫌な話の流れだな。そう思いながら眉をひそめて人通りの少ない大通りを見下ろすネサラに問いかけると、ネサラは大きな水筒を抱えなおして答えた。

「花売りだ。……もちろん、本物の花じゃないぞ」
「子どもが自分を売るってのか!?」
「そういった趣味を持つ者はどこにでもいます。娼館などならまだ規律もあるでしょうが……裏通りはずいぶん雰囲気が悪くなっているでしょうね。ラグズの奴隷が手に入らないなら、ベオクの子どもでも良い。むしろその方を喜ぶ輩も多いでしょうから」
「ずいぶん胸糞の悪い話だな」
「本格的に奴隷商人が商売を始める前にどうにかしないとな。恐らくもう始めてはいるだろうが、今ならまだ打つ手もあるさ」

 心底ムカついて吐き捨てるように言うと、ネサラなりに俺に気を遣ったらしい。唇の端だけで笑って高度を上げた。

「セネリオ、もう少ししたら化身するぜ」
「はい。ネヴァサを出てからですね」
「そうだ」

 もうずいぶん高い位置を飛んでいるが、それでも俺たちを指してなにやら騒いでるらしいベオクの気配はある。
 ここで化身したらもっと騒がれるだろうから、これはしょうがねえ。
 岩と雪ばかりの外れに出てセネリオを下ろすと、俺は改めて化身して背中にセネリオを乗せて飛んだ。
 俺の背中に乗るってことはかなり強い風にさらされることになる。大きな水筒と弁当入りの布袋の両方を持たせるのは危ねえかと思ったが、そうだった。こいつは風魔法を一番得意とする大賢者だ。
 器用に風の抵抗を減らして、ベオクには厳しいはずの寒さも感じない様子で「さすがに鳥翼王の背中は広いですね。快適です」なんて抜かして寛ぐ余裕まであった。
 もちろん、それは俺が気をつけて風の道が乱れた場所を避けたり、急降下や急上昇をしねえからだぜ? まして空のこと。突風だってあるから、乗せる方はもちろん高い飛行技術がいる。
こいつも乗ったのがネサラの背中なら、ここまで寛ぐ余裕はなかっただろうが、人を乗せて飛ぶのは俺の十八番だ。雛のころにゃネサラを片腕に抱えたまま奴隷狩りやはぐれ竜と戦ったこともある。
 それよりも、問題の渓谷までは結構な距離がある。気を引き締めて行かねえとな。
 途中で二度ほど野生の竜に出くわした。もちろん竜鱗族じゃねえぞ。竜騎士が騎竜にする小型の竜だ。
 穏やかな性格のヤツは俺たちに構わず逃げるが、気性の荒いヤツは牙を剥いて掛かってくる。どうやら今年巣立ったばかりの若いオスだったんだな。まだテリトリー争いに加われねえ竜が三匹ばかり襲い掛かってきたが、二匹はネサラの滑翔、一匹は俺の背中に乗ったセネリオが強烈な風魔法をお見舞いして墜とした。
 可哀想ではあるんだが、一度負けた竜は負け癖がついて余計に辛い思いをするからな。一思いに墜としてやった方がいいんだ。
 昼食は川を避けて適当な岩場で食った。予想通り、布袋を開けて中身を見ただけで食の細いネサラでさえ食欲が出る見事な盛り付けだ。
 寒い場所で食うことをちゃんと考慮してくれたんだな。オスカーに食べ方を聞いていたセネリオの炎魔法で軽くあぶった分厚いベーコンとチーズ、それからオイル漬けにした干しトマトとオリーブを挟んだパンは最高に美味かった。でかい水筒に瓶ごと入っていた暖かい葡萄酒の方はジンジャーをはじめとしたスパイスが効いていたが、レモンと蜂蜜がいい具合に味をまろやかにしていて、甘い酒が苦手な俺でも充分美味かった。俺よりもむしろネサラとセネリオが飲んだぐらいだ。
 ちらちら雪が降る中でこんな弁当を食ってるってのがなんだか妙な感じだが、意外に悪くねえような気がするのはやっぱり美味かったからだろうな。
 弁当を包んでいた油紙と布袋はたたんで俺の荷袋に突っ込んだが、水筒はどうしようもねえ。中身がなくなって若干軽くなった水筒は俺の腰にくくりつけて出発した。
 それからまた空の雲が鉛色を帯びてきたのを見て、俺たちはセネリオの体力に気を遣いながらまっすぐネブラ山脈の方面に飛び、特に被害が大きかったという麓の村を目指した。
 ここはそこそこ大きなキャラバンが通るはずだ。石畳というわけには行かねえが、それなりに道は整備されてる。
 だが、いざ村に近づいた俺たちの目に飛び込んで来たのは、村へ続く道のあちこちに落ちた不自然な泥の塊と、折れたり錆びた武器の数々だった。

「これは……」
「この先の村が壊滅したという情報は本当のようですね」

 高度を落して息を呑んだ俺に、セネリオが厳しい声で言いながら辺りを見回す気配がある。
 ネサラも俺の目の届く範囲をぐるりと回ってから戻ってきて言った。

「人の気配がまったくない。小さな集落だったがここは良い薬草が採れることで有名だし、人工栽培にも成功していたはずだ。これからだったろうに……せめてどこかの村か町に避難できていれば良いんだが」
「………とにかく、村に行ってみましょう」

 それは難しいだろうな。俺やネサラはもちろん、セネリオまでその一言は飲み込む。これから確かめることへの覚悟を決めながら、俺たちはだんだんと泥や壊れた武器が増えて行く道をまっすぐに村に向かった。
 もちろん、渓谷の視察を忘れたわけじゃないが、もし生存者がいるなら助けてやりてえからな。

「誰かいねえか!?」

 だが、俺の声に応える者はなかった。
 この辺りは時々狼も出る。鋭い返しの付いた頑丈な柵でぐるりと囲まれていた村は、本当に壊滅状態だった。その柵だって無事なところを探した方が早いほどだ。
 それは簡素な木造の家はもちろん、畑や、中心地にある少し大きな家も同様だった。
 近くの川から引き込んだ細い水路は泥や村人だろう誰かの遺体で詰まり、あふれた水がその辺りに広がって凍り付いている。
 壊れた水車に手をかけたネサラがその向こうの半壊した水車小屋を覗き、振り返って首を横に振った。
 散乱しているのは泥や武器だけじゃねえ。人の骨も、村人たちの遺体も、武器にしただろう農耕用の道具や鉈、子どもの玩具や人形もだ。
 ただ粉のような雪の混じった冷たい風だけが村を通り抜け、いっそうの寂寥感を醸し出していた。

「どの遺体も損傷が激しい……。まるで、泥の怪物が遺体の中に入り込もうとしたかのようですね。恐らく、今でも夜になると起き上がってさまよっているのでしょう。泥の多い範囲が村の向こうにかけて広くなっています」
「ここを抜けてクリミアに入ったんだな。……この村の情報は入ってなかった。この辺りは冬に完全に孤立するほどベオクの行き来が困難だ。俺も薬草を買い付けたいと思っていたんだが、この村では特に鴉が嫌われているからな。まず鷹から交流を持ちかけられたらと思っていたんだが……」
「鴉が特に嫌われてる? どういうことだ?」

 俺の問いに答えたのは、あちらこちらの遺体の状態を冷静に確かめて回っていたセネリオだった。

「新月の夜、どこかの家の屋根に鴉が降りて鳴くと死人が出る。つまらない迷信です」
「おいおい、迷信にもほどがあるぜ! そんなことで鴉を嫌ってるってのか!?」
「こんな山奥の村です。我々にとっては迷信でも、村人にとっては真実だということは多々ありますよ。それに、この迷信には元となる昔話があるそうですから」

 そこまで聞いたら気になるじゃねえか。手近な家の中を見て回っていたネサラに視線を向けると、やっぱりな。その話を知っていたようで、ちょっと気まずそうに教えてくれた。

「……昔、この村にベオクの娘と恋仲になった鴉の男がいるんだよ。もちろん許されるはずがないし、駆け落ちしたって話だが。夜迎えに行って、二階の窓から二人で逃げようとして、確か止めようとした家の者が屋根から落ちて命を落としたとか、そんな話だったはずだ。どこまでが本当やらわからないが、ニアルチがそう言ってた。あのもうろくジジイが若いころの話だから、ベオクの間じゃ昔話になってるんだろ」
「内容も変わっていますよ。『不吉な黒い鳥が美しい村娘をかどわかして、娘を守ろうとした父親を殺して逃げた』こんな感じの内容です。その一方で暗闇を恐れる鴉が、月のない夜に迎えに来たという情熱の方こそを若い女性は支持しているようですが。ですから一部では鴉の羽は恋愛のお守りになっているという噂も耳にしました」
「ああ、確かに鴉の羽ならご利益ありそうだな。こいつらは大抵が一途で、一度つがいになるとめったに別れることがねえ。総じて家庭的だしな」
「べつに自慢するようなことじゃないだろ。馬鹿馬鹿しい」

 そう言って戻ってきたネサラの肩を抱くと、ネサラは面白くなさそうな顔で俺の手を解いてさっさと歩き出した。
 なんだよ、褒めてるってのに。

「どうした? セネリオ」

 やれやれと思って後を追おうとしたんだが、今度はセネリオのやつがなにやら考え込んでる様子だ。
 細い顎に指を当ててまじまじとネサラの背中を見送っていたセネリオは、しばらくしてからなにやら一人、納得した様子で頷いて言った。

「ラグズの中でも鳥翼族の寿命は長い方です。それなのに相手を変えないというのは面白いですね。もしかしたら出生率も低いのでしょうか?」
「あ? ……あぁ、そうだな。ベオクほどは高くねえはずだ」
「そうでしょうね。でなければ今頃ラグズは大変な数になってるはずです。ですが、話の二人だけではなく、ラグズとベオクの恋の話はあちらこちらで逸話が残っています。もしかしたら我々が思うよりもずっと混血が進んでいるのかも知れませんね。印がなくても極端に力が強かったり、魔力の強い者もいますし……村によっては倍ほども平均寿命が違ったりする。面白いものです」

 そう言ったセネリオは小さく笑って足元の大きな瓦礫を飛び越え、ネサラの後を追った。
 面白い、か……。
 こいつは俗に言う「親無し」だ。
 辛い思いをしてきたんだろう。ベオクよりも俺たちラグズの方をより憎んでいたのは知ってる。
 今でもこいつらに対する嫌悪感を持つ連中は少なくねえが、俺はもちろん、ネサラや俺のダチ二人、リュシオンたち、それに一番親無しに対する拒絶が強かった獣牙の中にも、そんなことをこれっぽっちも気にしねえ連中が増えてきた。
 セネリオの推測が当たっているなら、これから見つかる親無しはもっと増えるだろう。そいつらが居心地の悪い思いをしねえ世界になれば良い。

「な、なんですか!?」
「足元が危ねえだろ。乗っとけ」

 アイクの誇る小さな軍師を左肩に担ぎ上げると、俺は錆びた武器の欠片があちこちから突き出した土の上を飛び越え、ネサラが足を止めた場所まで急いだ。
 この辺りではやけに立派に残った赤いレンガの建物は、教会だ。入り口の前には一際大きな泥の山があった。

「窓から入った方がいいか?」
「……天窓の方が確実だ」

 ここが逃げ込める最後の場所だ。
 雪を落とすためだろう。俺たちは一際傾斜のきつい屋根に降り、中に入れそうな窓を探した。屋根裏部屋の窓は……駄目だな。小さすぎる。セネリオ一人なら入れそうだが、もしものことがあっちゃいけねえ。
 結局、無理にこじ開けてでも俺たちが入れそうな場所は、この村の財産といっても良いステンドグラスの窓ぐらいしか見つからなかった。
 色つきの硝子を組み合わせて作るステンドグラスはこんな雪の深いところで使うには強度に不安がある。それでもここにあるってことは、村人たちが丁寧に手入れをしてきたんだろうな。
 俺はこういうものに対してべつに価値は感じねえが、それでも綺麗なものを綺麗だと思う感覚ぐらいはあるんだ。壊しちまうのはもったいない。
 ネサラはもっと残念だろう。
 整った横顔には取り立てて感情は見えなかったが、無造作に俺が割ろうと振り上げた拳を止めて、丁寧にあちらこちら調べていた。

「鴉王、無駄ですよ。これははめ殺しになっています」
「………」

 セネリオに言われるまでもなくわかってるんだろう。小さくため息をついたネサラが、諦めた様子で懐から手巾を取り出して手に巻く。
 おいおい、なにもおまえがやらなくてもここに適役がいるだろうがよ。

「俺がやる。怪我をするといけねえから下がってろ」
「おい、ティバーン」
「セネリオを頼むぜ」

 腕を掴んで止めた俺を睨むネサラにセネリオを押し付けて、雪の膜が凍りついたステンドグラスの表面を軽く叩く。
 ……意外に分厚いな。リュシオンみてえに殴っただけで骨を折るってことはねえだろうが、ネサラにさせたら痛いだけじゃ済まねえんじゃねえか?
 それに、こんな辺境の村にしちゃなかなか凝ったデザインだ。ネサラじゃなくても割っちまうのは惜しいが、他に方法がないなら仕方ねえ。
 無言でセネリオが差し出した外套を広げてやや縦長の窓を覆うと、俺は振り上げた拳で勢い良く中心をぶち抜いた。
 派手な音を立てて固い氷と硝子が砕けて落ちる。外套を外して確かめると、まだ枠のところに尖った破片が残ったままだ。
 このまま降りたら怪我をするからな。腰の短剣を鞘ごと外して尖った部分を全て落とすと、まずは俺が中を覗く。……くそ、暗ぇな。窓の鎧戸も閉めきられたままだし、小さな天窓をぶち抜いたぐらいじゃとても中は見えねえ。

「人の気配はありますか?」
「いや……ねえな」
「僕がまず降りましょう」
「ティバーン、俺が先に入る。ロープもないし、セネリオは抱いて下ろさなきゃならないだろ」
「まだ破片が残ってるかも知れねえ。窓枠を抜けるまで翼は出すなよ。やばいと思ったらやめろ。俺が行く」
「はン、過保護な王だぜ、まったく……」

 呆れて前髪をかき上げたネサラの手からセネリオを受け取ると、俺は翼をしまったネサラが脚からゆっくりと降りて行くのに手を貸した。ネサラの体重なら片手でも充分吊るせるから不自由はねえ。

「こういうのは過保護とは言わねえよ。そら、しっかり掴まってろ」
「………鳥翼王。襟首を掴むのはやめてくれませんか?」

 片手にネサラ、片手にセネリオだ。しょうがねえだろ。
 ずるりと中に落ちかけたところを掴んだ腕でぶらさげる形になった瞬間、いきなり重みが消える。翼が出せたからだ。

「いいぜ」
「おう。よし、じゃあ次はおまえだ」
「………幼児のような扱いも不本意なんですが」
「つべこべ言うな。ネサラは俺より腕力がねえんだから暴れんなよ」
「言われるまでもなく、暴れません」

 むっとしたセネリオの両脇に入れた手で持ち上げてネサラの腕の中に下ろすと、セネリオを抱えたネサラがゆっくり降りていくのが見えた。よしよし、大丈夫そうだな。
 最後は俺だ。
 下から明るい金を帯びた光が漏れる。セネリオが炎の魔力で中を照らしてくれたんだな。ベオクの魔法は本当に便利だぜ。
 そう思いながら俺も翼をしまうと、窓枠に手を掛けて懸垂の要領で下に身体を下ろした。
 慌ててネサラが俺を支えに飛んでくるが、この程度の高さなら翼を使わずに飛び降りたって怪我はしねえよ。

「……あんたなら翼を使わなくても山越えできそうだな」
「あァ? んな面倒なことするかよ」

 しかし、下に散乱した硝子があるからな。俺の体重でそんなもんを勢い良く踏んで二人に怪我をさせちゃいけねえ。俺も鳥翼族なんだから見かけの割に軽いとは言え、それでも人型のライ程度の体重はある。
 翼を出してさっさと降りると、俺はセネリオが右手に灯した魔道の炎に照らされた教会の内部を見回した。
 思ったよりも綺麗だな。
 いや、まったく荒らされてないと言ってもいい。
 だが………。

「ここに避難していたんだな。この僧服の男が教会の神父か?」
「そうみたいだ。鎧戸も閉めきって、入り口は中から取っ手に閂を掛けてある。光魔法の心得もあったようだが、一人じゃどうにもできなかったんだろう。……気の毒に」

 信仰の対象である女神像の足元に蹲る形で、十人を越える女と、女たちを守ろうとするような形で事切れた僧服の男がいた。気温が低いからな。どの遺体も綺麗なもんだ。

「セネリオ?」

 その遺体を眉をひそめて見ていたネサラの声にセネリオの方を見ると、セネリオはまた落ち着いた様子で遺体を検分していた。……って、違うか。遺体の下を探ってるのか?

「おい、どうした?」

 なにか探してるみてえだが、理由がわからねえ。怪訝に思って訊くと、セネリオは片手に呪文の炎を灯したままの不自由な格好で一番下になった女のスカートの裾を押しやり、床を叩いて言った。

「恐らくこの下に隠し部屋があります」
「そうか、それじゃ……!」
「ええ。外の遺体の中に子どもの姿がないので不審に思ったのです。教会を非常時の避難場所にしている村や町は多い。隠し部屋があるなら、そこに水や保存食もあるはずです」

 セネリオの言葉に頷いたネサラが女たちに駆け寄り、ずるずると動かしはじめる。
 そういう理由ならもちろん手伝うさ。遺体とはいえ、女に乱暴な真似をするのは気が引けるが、場合が場合だからな。
 長椅子を端に片付けて凍り付いて硬くなった遺体を一体ずつそっと退かして横たえてやると、神父が教えを説く時に立つ小さな赤い絨毯が見えてきた。問題の入り口は、この絨毯の下だ。

「ありました。地下への入り口です」
「鍵は?」
「かかっていませんね。中から掛けるものでもないようですし……」
「貸せ」

 ちゃんとした取っ手はねえ。あるのは指が入る窪みだ。鉄で補強してある蓋の重量は相当なもので、俺でも持ち上げるのは一息とは行かなかった。

「…!」
「な、なんだ?」
「痛いでしょう!」

 ようやく持ち上げた瞬間、この蓋に縋るような格好で息絶えた幼い子どもの遺体が目に飛び込んできて、俺はそばにいた二人をまとめて抱き込んだ。
 人の気配がない時点で結果はわかってる。それでも、とっさに二人の目を覆いたくなったのは俺自身が衝撃を受けたからだ。

「すまん。見せたくなかったんでな」
「………」
「今さらです。結果はわかっていました。……この子も出してあげましょう」
「ああ」

 蓋が落ちねえように外して置くと、羽ばたきを止めたネサラは頷き、セネリオは驚いた拍子に消えた魔道の炎をもう一度右手に灯して入り口を照らす。
 冷たく凍りついた遺体でも、幼子だ。どの女の子かはわからねえがそっと持ち上げて女たちのそばに置いてやると、俺は明かり役のセネリオの後に続いて数段の石の階段を下りた。
 本当に非常用の食料庫を兼ねてたんだな。ひんやりと冷たく天井の低い地下室には、まだかなりの食料と水が残されていた。
 そして、部屋の隅にやっぱり折り重なるようにして、子どもたちが息絶えていた。下は乳飲み子から一番上でもヨファにも満たねえような子どもだ。

「くそ! これだけの食料も水も、毛布まであるってのに、どうなってんだ!?」
「保存庫は外気を通しません。ここで火を燃やしたのでしょう。……蝋燭が何本も落ちていますし、これは暖炉のない場所で使う炭壷です」

 いつもの冷静な、だが厳しさの増した声音で呟いたセネリオの後を継ぐような形で、俺の後ろから子どもたちのそばに歩いてきたネサラが言った。

「暗くて、寒くて……心細かったんだよな」
「ネサラ?」
「密閉されたところで火を使うなってのはガキのころから教わるだろうが、きっと我慢できなかったんだ。こんな小さな子たちじゃ無理もないさ」

 そう言ってネサラが抱き上げたのは、誰かの上着に包まれてあどけない顔をして眠っているような乳飲み子だった。

「せめて一人でも大人がつきそうべきでしたね。……し尿用の容器まで用意していたのに、残念です。上の遺体の様子から、最後まで言い聞かせていたのかも知れませんが」
「ティバーン……時間を取れないのはわかってるが、せめて弔ってやりたい」
「もちろんだ」

 子どもになにかあるのが一番辛いのは俺たちラグズも同じだ。だが、俺はベオクの弔いを良く知らねえ。
 ここにキルロイでもいてくれたら良かったんだが……。そう思って膝を抱えて小さくなった子の頭を撫でていると、セネリオがネサラの腕から赤ん坊を引き取りながら言ったのだった。

「このまま残して行くと、この村の遺体まで操られるかも知れません。炎の魔法が有効なこともわかっていますし、この教会を残して火を放ちましょう」
「村ごと燃やすってのか!?」
「燃やすというより、全体的に魔道の炎であぶるのです。……そうすれば、少なくとも炎を浴びた泥の怪物は鎮まりますから。それにこの教会の食料はどれもまだ使えます。王都に戻ったら報告しましょう」

 生きてる者のために。
 セネリオの言葉に頷くと、俺たちは村人たちの遺体を村の中央部に並べた。泥の方はどうしようもねえ。教会の扉に取りすがった分についてはセネリオが丁寧に炎を使う。
 小さな村で見つかった村人らしき遺体は、原型を留めてねえのも含めて五十人ばかりだった。この集落の規模から考えると明らかに少ねえ。きっと逃げられた者もいるはずだ。
 あとはそいつらの無事を願うしかねえな。

「ネサラ、そろそろだ。ここも燃えちまうから危ねえぞ!」
「……あぁ、わかってる」

 村の中心から少し離れた家を調べていたネサラを呼びに行くと、ネサラはまだ生活感が生々しく残る机を撫で、ため息をついていた。
 顔色が良くないのは無理もねえ。俺だっていやな作業だったからな。

「このやたら小さな引き出しがたくさんついた棚は……薬師の家か」
「そうだ。……薬は特に残ってない。やっぱり、逃げられた者もいるみたいだな」
「そうか。まだしもだな」

 そう言って肩を抱いたら、ネサラはかすかに口元をゆるめて頷く。やっと歩き出したネサラを連れてセネリオの元に戻ると、もう弔いの準備が終わっていた。

「何度かキルロイの弔いを見たことがありますから口上は覚えていますが、形だけです。ベオクは形式を重んじますので」
「充分だろ。やってくれ」
「では……」

 俺の言葉に頷いたセネリオの口から、すらすらと神父が口にする弔いの言葉が出てくる。
 今日、名も知らぬ者たちが宵闇の向こうへと旅立ちました。女神の御許にどうぞお導きを……か。
 正の女神も、負の女神も、人の魂がどうなろうが知ったこっちゃねえだろうな。大体、どっちももういねえんだから。
 ただ、未だに邪神だと誤解されてるユンヌは気の毒だぜ。邪悪な女神の御手からお守りください、なんて言われちゃあよ。人を守ったのはこっちの女神だってのに。
 まあ、あの悪戯娘のような女神は、「しょうがないわ」とでも言って肩を竦めるだけかも知れんが。
 弔いの祈りが終わり、セネリオの右手が上がる。次に聞こえてきたのは炎魔法の詠唱だ。一番得意なのは風魔法らしいから、他の系統の魔法を使う時には初歩の魔法でもきちんと呪文を唱える必要があるらしい。
 詠唱の長さから察するに、かなり高位の魔法なんだろうよ。

「!」

 金色を帯びた魔道の炎が一気に膨れ上がる。対象が固定された魔道の炎が俺たちを焼くことがないのはわかっていても、熱いもんは熱いぜ!
 慌てて目を覆って熱風をやり過すと、横たわる遺体が音もなく燃え上がっていた。

「大丈夫か?」
「おう、ちょっと熱いだけだ」

 いつもと逆だな。蒼い燐光を帯びたネサラは平然と熱風に踊る長い髪を押さえて心配そうに俺を見上げてくる。
 俺とネサラじゃ魔法に対する抵抗力に差があることは知っちゃいたが、まさかこれほどとはな。まあ数字で見えるわけじゃねえし、こんなことでもないとわからねえのはしょうがねえんだが。

「……メティオだ」
「あ?」

 村人たちが散らばる真っ白な骨になったところで、セネリオの詠唱が変わった。裸になった森からけたたましく小鳥が逃げる。ネサラの視線を追って空を見ると、鈍色だった空に赤い染みが広がってきた。
 メティオってのは腕の良い魔道士が使えば、相当の広範囲に届くと聞く。確かに効率はいいんだろうが、それにしてもやることが派手だな!
 セネリオが呼んだ巨大な炎の固まりは小さな村を飲み込み、まるで舐めるように地上を這って清めていった。
 世話する者がなくなった田畑や、寄り合いで使われただろう集会所、誰かの家……。なにもかもを飲み込んで。
 建物が燃えねえのがいっそ不思議だ。……って、そうでもねえか。中には燃えちまうものもあるんだな。
 不思議に思って聞くと、ネサラが教えてくれた。

「中に侵入されてた家は仕方がないんだ」
「……あの薬師の家も燃えちまったんだな。もったいねえ。薬師の知識はその村や町の宝だろうに」
「貴重なものは逃げた時に持ち出してるさ」

 だと良いんだがな。
 しばらくして炎が静まり、セネリオが魔道書を閉じて深いため息をついた。いつも見目にそぐわねえ落ち着きを見せる横顔に疲労の色が濃い。

「セネリオ、大丈夫か?」
「ええ。得意な風とは正反対の性質の精霊を使役するのですから、疲れるのは仕方ありません。それよりも、なんとか鎮まったようですね」
「ああ。歪に固まっていた泥の山が平らになってる。これであの連中が迷い出ることはもうないだろう」
「炎の精の気配があるうちは新しい怪物もこの一帯には近づかないでしょう。とにかく、問題の渓谷に向かいましょうか。こうしてる間にも新しい怪物が生まれているかも知れませんから」

 そう言ったセネリオの前に膝をついて化身すると、俺の背中によじ登るのを待って羽ばたいた。
 吹雪とまでは行かねえが、それでも細かい粉雪がまばらにちらちらする視界は広くねえ。暗闇でも獣牙族並みに目が利くヤナフでも障害物があると俺たちと大して変わらないって言ってたから、どうしようもねえんだが……いらいらはするな。

「問題の渓谷は、イベルト長城の手前だったか?」
「はい。イベルト長城を目指していたところで待ち伏せに遭ったのです」
「そうか。……確かに、ほかに待ち伏せに使えそうな場所はない。デインが元老院側に立って参戦することがわかった時点でもう少し気をつけるべきだったな」
「ええ。せっかく聖天馬騎士団や鷹の民がいたのに、あの時は天候が悪くて視界が利かなかった。それでも待ち伏せの可能性をもっと強く示唆していれば防げた被害かも知れません」

 ……耳が痛いぜ。
 あのころ、セネリオが軍師として休む間がねえぐらい働いていたことは覚えている。
 セネリオは俺たちを責めねえし、その判断ができなかったことを俺たちのせいだとは露ほどにも思っちゃいねえだろうが、それでも、自分自身の至らなさにこみあげる悔しさは拭えねえ。
 俺も、感情的になりすぎてそんな当たり前のことにさえ頭が回ってなかった。

「ティバーン」

 黙って苦い思いを噛み締めていると、羽ばたきを速めて隣に並んだネサラが思いがけねえことを言いやがった。

「あんただけのせいじゃない。本来なら、偵察を得意とするサナキの聖天馬騎士団の二人がもっと気をつけるべきだったことでもあるんだ。神使親衛隊だからって張り付くだけが能じゃねえだろ。もっとも、迂闊に偵察に出れば射落とされて帰ってこられなかったってことになるかも知れないが……。それでも、考えられる限りの危険の可能性は頭に入れておかなくちゃならない。それが本当の意味での護衛だからな」
「……そういや、あの二人も後で同じ事を言って悔やんでいたな」
「そうだろう?」

 ったく、変な気を遣うんじゃねえよ。
 言い訳じゃねえ。民を守ることが仕事のラグズの王である俺こそが、一番に気をつけなきゃならなかった部分だろうが。
 なんだか照れくさくなって、俺は翼の端っこでネサラの背を軽く撫でた。本当はばしっと背中を叩きたい気分だったんだが、ただでさえ俺の翼は固い上に化身してるから力を加減しなけりゃ怪我をさせちまうからな。仕方ねえ。
 だが、そんな良い気分に水を差すのは、やっぱりセネリオだった。

「言っておきますが、鴉王。あなたが裏切らずに僕たちと同行していたらこれは出なかった被害ですよ。あなたがいれば待ち伏せの可能性を考えて行動したはずです。そういう点では、焦土にされたフェニキスと同じですね」

 おいおい、そこまで言うのかよ!
 驚いて止めようとしたんだが、その前に息を飲んだネサラがセネリオに顔を向け、魔道書を荷袋に収めたセネリオがあっさりと続けやがった。

「当然でしょう。監禁されていた皇帝を救出したのがあなただということはもう聞き及んでいます。そう考えればあの時点で合流する時間もあったはずですね。一体、どこにいたのですか? できれば、皇帝を救出したところから聞かせて欲しいものですね」

 そういや、そうだよな。どこにいたんだ?
 俺も不思議に思ってネサラの答えを待った。
 どう応えたもんか迷ったんだろう。ネサラが口を開いたのはなだらかな丘と小さな森を越えてからだ。

「サナキの居場所が掴めたのは裏切った後だ。なんとかサナキを助け出して、俺を配下にしてくれって頼んだ時に、事情を聞かれて……。だが、元老院が誓約の主のままじゃ答えられない。だからまずサナキに雇ってもらえなけりゃどうしようもなくて、形式だけでも雇ってから質問してくれって言ったら、なんとなく察したんだろう。俺を配下にすると宣言してもらえた」
「事情を話したのですね?」
「時間がなかったから、連れ出してからな。その時に衛兵とやりあったからちょっと怪我をしてね。それに、あんなことをしておいてのうのうとあんたたちの前に顔を出せるほど俺も図々しくはなれなかった。一番の理由はサナキにも追って沙汰するまで引っ込んでろって命令されたことだがな」
「怪我は大丈夫だったのか?」

 考えてみりゃ、間抜けな質問だな。大丈夫だからここにいるんだろうが、監禁されたあの小さな皇帝を助けるとなったら、そりゃ骨の折れる仕事だったろう。
 今さらだと思いながら訊くと、ネサラも同感だったようで苦笑した気配がした。

「見ての通りだ。それで……次に誓約を引き継ぐのが誰かわからなかったから、注意点を改めて書き残そうと思ってね」
「そういうことかよ。そこでただじっと傷を癒すんじゃなくてなにかしら動き回るのはもう性分だな。それでじゃねえが、フェニキスが襲撃される前に、妙な噂が流れてきたことを思い出したぜ」
「噂ですか?」

 ネサラはなにも言わねえ。それが答えだと思いながら、俺は不思議そうに訊いてきたセネリオに教えた。

「おう、最近、ベグニオンに妙な動きがあるってな。意味はわからねえが、俺たちも宣戦布告したあとだ。一応、海岸線の見回りを強化しとくかってな。まあその甲斐あって非戦闘員はいち早く避難できたんだが、不思議なことに、避難先にもう薬や食料が置いてあってな」
「……鷹の民は自給自足できそうですが、非戦闘員なら狩りも上手ではないかも知れないってところですか」
「そうだな。それを知ってる誰かさんの心遣いだろうよ。もっとも、どこから来たのかはまったくわからねえんだよ。不思議なこともあるもんだ。なあ?」
「まったくですね」

 セネリオは白々しい声で調子を合わせてくれたが、ネサラとしちゃ居心地が悪かったんだろうな。

「先に行く」

 ぶっきらぼうに言い捨てて勢い良く行かれちまった。
 ったく、可愛いやつめ。

「……皇帝の判断は正しいですね」
「ん?」
「あの時点で鴉王が戻ったら、その場で血祭りに上げたでしょう? あなた方なら」
「ああ。恐らくな」

 可愛さあまって憎さ百倍。……それぐらいの気分だったさ。当たり前だ。
 くそ、今度会ったら本気でサナキに礼を言わなきゃならねえ。
 誓約書を取り戻して、サナキにキルヴァスの滅亡宣言と契約の破棄を頼んだ時も、終わった時も、あいつは泣かなかった。
 だがサナキの前に片膝をついて下げた頭をなかなか上げなくてな。サナキはガキのくせによ。本当にいっちょまえの威厳と声音で、そんなネサラの肩に手を置いて言ったもんだ。

『今までよう耐えた。鴉王よ、この大陸でそなたほど苦しみ、重い玉座を守り、民を支えた王はおるまい。この誓約の痕跡を残せば、また悪用しようという輩が現れよう。だからこのわたしが責任を持って永遠に封じるが、そなたという王を戴いた民と、そなたのことを良く知る者は今日という日を生涯忘れまい』

 見守るラフィエルも、リュシオンも、リアーネも泣いていた。その涙がネサラが流せない涙だってのは、鈍い俺にさえわかった。
 喜びの涙じゃなかった。むしろ出しちまった犠牲に対する悔恨の、重くて辛い涙だった。
 ………参ったな。思い出したらついしんみりしちまうぜ。

「ぼんやりしている時間はありませんよ。問題の渓谷まではまだ距離があります。さしあたり、今夜の寝床を探さなくてはなりません」
「弁当は食っちまったし、飯もだな」
「……一応、保存食は持ってますけどね」

 そんなもんで腹が膨れるかよ。
 沈みかけた気分を吹き飛ばすように笑って、俺は灰色の景色の中を飛ぶネサラの後を追いかけた。





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